ティーチングレター

あなたはその枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのです。
(ローマ11章18節)

現在、世界中でイスラエルを愛し共に立つクリスチャンが増えています。

イスラエルを助ける理由にはいろいろありますが、「彼らは弱く、世界中の国々から批判を受けて多くの困難を通っているので助けが必要だ。」と考える人も少なくありません。

確かにそれ自体はとても素晴らしいことです。しかし、それだけが動機であってはなりません。またむしろ、聖書のある箇所はその反対を言っている事を知っていただきたいと思います。

ローマ11章18節に「イスラエルが私達を支えている」と聖書に書いてます。この言葉は過去の事だけではなく現在においてもそうなのです。

この事実は私達の目を開かせると共に、この時代に何をしなければならないかについて理解を与えます。

ルツ記の中にナオミとルツという女性が出てきます。ナオミはイスラエルの型であり、ルツが異邦人教会の型です。たしかにナオミは高齢で働くことができず、ルツによって養われていました。しかし実際はナオミ無しではルツは約束に地に入る事も、収穫に預かる事も、ましてボアズと結婚する事も出来なかったのです。

このボアズはイエスキリストのひな型であり私達の救いの源です。 

 

さらに、ルツ記4章16節に「ナオミがルツの子を養い育てた」と書いています。この箇所は原語では単に養育するという意味ではなくナオミが乳を出して栄養を与えたという意味です。

イスラエルが現在も私達を養っているのをみなさんはご存知でしょうか?驚く事に聖書に予標として書かれているイスラエルは、異邦人が支えねば倒れてしまう弱い存在ではなく、私達を霊的に養う頼もしい存在なのです。

たしかにイスラエルは聖書も預言者もそしてイエス様自身も私達に与えてくれました。霊的なものを受けた私達は大いにそれを感謝し、彼らに物質的なものをお返しします。

(ローマ15:27)「異邦人は霊的なことではその人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。」

これはイスラエルを祝福したいと願う人を支えている美しい御言葉です。

しかし、イスラエルを祝福する事に目覚めた人達の中にもイスラエルの役割は教会が形成され聖書が完成するまでだと考え、イスラエルをナオミのような年老いたやもめのような存在としてとらえてしまうのです。

ルツ記にナオミの二人の嫁であるオルパとルツが出てきます。オルパの意味は「首の後ろ(背を向ける)」であり、ルツの意味は「友」です。

この2人の嫁は困難な中で試みを受けました。これは2種類の教会を現しています。イスラエルを愛し、どのような困難な中でも共に立ち上がる教会と背を向けて離れてしまう教会です。

たしかにこれからの時代イスラエルと共に立つ国や人たちは困難を通るかもしれません。しかしオルパのように離れ去ってしまうなら私達の状態はさらに悪くなってしまいます。

ルツ記1章15節でオルパは自分の民とその神のところに帰ってしまったと書かれています。私達がイスラエルと共に立ち上がらないなら信仰を失い主からも離れてしまう事を意味します。

ルツとナオミがユダの地に到着したのは「大麦の刈り入れの始まった頃」(ルツ1:22)と書いています。これは終末の刈り入れ(リバイバル)をあらわしています。

ここに文字通り、ユダヤ人と異邦人がひとつとされ、終末のリバイバルの収穫を享受するのです。

神様はこの終わりの時代に大収穫を準備しておられます。その大きな鍵のひとつはイスラエルを祝福することにあります。

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